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【由来等】 神楽は神官が舞っていたものを、明治初期、社家から一般の氏子に伝授された。近隣には多くの神楽が残っている。小原神楽は豊前岩戸神楽の流れをくみ、舞いはもとより、神楽歌、囃子は最も古い形が受け継がれている。1877(明治10)年頃、伝法寺村(現、築城町大字伝法寺)岩戸見神社の内尾宮司が舞を伝授した。
【活動の歴史】 小原神楽は、戦争などで舞い手が減少したこともあったが、一部の演目を除き一度も絶やしたことはない。大正初期から昭和の初めが最盛期であり、豊前地方はもとより県内各地、遠くは大阪まで舞に行った記録がある。昭和50年頃からは、各方面から依頼が続き、特に毎年5月初旬の春祭りには日程の調整に苦慮している。昭和27年、隣接の上り松地区でも小原神楽に学び神楽講を創設したが、数年後には小原神楽講と活動を共にすることとなり現在に至る。昭和46年頃、神楽の存続が危ぶまれてきたため、地元に残った若者に神楽伝承を始めて10年ほど活動を続けたが、先輩講員の高齢化のため、新しい後継者の育成に取り組み、地元の小学生に神楽の稽古を勧めた。現在ではその当時の小学生のほとんどは他地域に住むが、その若者たちも祭りの日には帰省して神楽に参加している。現在、地元の小原小学校児童にも定期的に教えている。ここ、約15年間で、地元はもとより遠くは、壱岐、福岡市、北九州市など、約40ヶ所で奉納を行った。最近は、先方からの依頼により一部の演目を、結婚披露宴や老健施設慰問などでも行っている。
【芸能を行う理由・目的】 天下泰平、五穀豊穣、国家安穏、氏子繁栄
【舞・踊りの特徴】 演目は通常、式神楽で「奠撒き」「手草」「小神楽」「地割(返閇)」「御先」「岩戸開き」の順に舞う。代表的な演目は強面の面を着けての「御先神楽」で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨の際、猿田彦が御先に立って道案内をしたという神話に基づいた神楽で、神主と鬼が出る2人舞である。式神楽の他に「乱れ御先」「綱御先」「一人剣」「盆神楽」があるが、これらは式神楽の間に舞う。神楽には台詞、口上が必要だが、正確な文献が残っていないため、小原神楽では約30年前より「古事記」「日本書紀」「古今和歌集」「続日本書紀」等の文献を調べ、神名、和歌の語尾、言い回しを正確なものに直して伝承している。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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