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【由来等】 葛城神社妙見宮は、奈古、岩丸、水原地区を氏子とする。平安時代の1082(永保2)年、岩丸地区に大干ばつがあり、葛城神社の神主が、天降(天合)の頂きにある社殿で雨乞いをしたところ大雨が降った。その際、神への感謝の意を込め神楽を舞ったのが、岩丸神楽の始まりだといわれている。
【活動の歴史】 1868(明治元)年、神仏分離令が発令された際の混乱により、中断した。社家神楽の形態は廃絶し、1886(明治19)年頃に一時復興した折、現在の神楽の形態が出来たといわれるが定かではない。その後講員不足などにより神楽を行うことが出来ず、継続が危ぶまれる状態となった。昭和21年、地元青年10名程で岩丸神楽講として再興し、現在に至る。平成元年までは葛城神社による元旦の夜神楽が行われていたが、現在は綱敷天満宮での神楽のみ行われている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、雨乞い
【舞・踊りの特徴】 囃子と舞、共に強弱がはっきりしており、勇ましい。囃子は演目により、調子を変える。大蛇を3匹使い、約1時間かけて舞う、大掛かりな蛇神楽を主体としている。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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