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【由来等】 寛永年間(1624〜1643)の島原天草の乱に、中津藩が出陣し多数の死傷者を出したため、出港した港の遠見番所横に供養塔を建て、前の広場でその供養踊りとして始まったと伝えられている。また一説には、遠見番所の役人が番所にあまり人が寄り付かないため、女性や子供を集め、菓子などを与えて踊らせていたといわれる。
【活動の歴史】 時期は不明であるが、八幡古表神社の乾衣祭(おいろかし)のときに踊るようになり、番所で踊らなくなってからも神社で踊り伝えられてきた。第二次大戦中の休止を除き、明治から今日まで継続されている。平成4年には保存会が結成され、現在吉富町の無形民俗文化財にも指定されている。
【芸能を行う理由・目的】 家内安全、先祖、物故者供養
【舞・踊りの特徴】 初盆踊りとしても踊られ、現在でも盆の14、15日には初盆の家に行き、玄関口や庭先などで踊る。番所踊りの歌伴奏は番所踊り歌と呼ばれ、1番から21番までの歌詞があり、10分程度かかる。2曲目は炭坑節で踊ることもある。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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