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【由来等】 赤幡神楽の由来は定かでないが、鎌倉時代初期より始まったとされている。旧築城郡(平成15年現在、築城町、椎田町)の十六社家(神に仕える神職の人たち)に伝承され、毎年各神社の祭礼に奉納されていた。小倉藩に小笠原氏が入国後は、同氏の氏神八坂神社(北九州市小倉北区)の祭礼に、旧京都郡社家神楽と共に毎年交互に奉納されていた。その当時の神楽は、神職以外では舞うことは許されない社家神楽(別名神職神楽)であったが、明治の新政により神職世襲制度の廃止に伴い、社家神楽が禁止され、旧築城郡伝法寺村岩戸見神社宮司熊谷房重を始めとする2〜3名の神職が伝統の社家神楽の絶滅を憂い、これを民間に習得させ永久に保存させようとした。1874(明治7)年赤幡神社氏子に伝授。以来、この地方では民間人が昇殿して神楽を奉納するようになった。旧豊前国(現在、北九州市、行橋市、京都郡、豊前市、築上郡、田川郡の一部など)で一番早く復活した神楽。
【活動の歴史】 昭和39年に福岡県の民俗芸能の指定を受けた後に、指定当時の関係者がわずか2名になり一時休止した。存続が危ぶまれたが、氏子の若者の伝授申し出により、昭和53年に復活し、それに伴って赤幡神楽講は、赤幡神楽保存会と改称し、各地の神社の要望に応じて神楽を奉納している。昨年は年3回の定期開催以外に、神楽の里フェステバル、京都郡の沓田神社、築城駅前の神幸祭へも出張上演した。後継者不足のため、以前は地元の小学生、中学生を中心に継承活動を行っていたが、卒業後の勤務の関係や興味が少ないなどの事由から継承が難しく、現在は、氏子など関係なく、赤幡町内に在住している人全員に対して、神社にあがるようにお願いしており、小学生、中学生にも継承活動を行っている。
【芸能を行う理由・目的】 雨乞い、日乞い、五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 赤幡神楽は出雲神楽の系統に属する豊前岩戸神楽である。12の演目からなる式神楽(散米神楽、折居神楽、御福神楽、手草神楽、地割神楽、神宣の舞上、御先神楽、花神楽、四方鬼神楽、戸前神楽、大祓祝詞)と、10の演目からなる特殊神楽(湯立神楽、神迎神楽、綱御先神楽、三神神楽、美須伝神楽、四角手神楽、盆神楽、大蛇神楽、一人舞神楽)で構成されている。他であまり舞う事がない神楽では三神神楽、神迎神楽がある。三神神楽は農、山、海の神が豊作を喜ぶ舞で、途中で餅、菓子などを撒く。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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