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【由来等】 松尾山は652(白雉3)年の開基と伝えられ、神号を「松尾山権現」、寺号を「医王寺」と称したが、明治以降は三社神社となり、お田植祭はこの三社神社の神事として継承されてきた。お田植祭がいつから始まったかは定かではないが、近世文書「中野坊旧記」に「1432(永享4)年より松柱を立てる」とあり、また「色衆楽」に中世田楽の名残りを色濃く残していることから、室町時代にその基礎が築かれたと考えられる。
【活動の歴史】 昭和20年代頃までは三社神社氏子15軒程で行なっていたが、過疎化による氏子数減少により、大平村青年団や村立西友枝小学校児童により継承されていた。昭和46年に「お田植祭」が福岡県の無形民俗文化財の指定を受けると、地域の保存・継承活動が活発化し、「松会保存会」が結成された。その後も演舞は西友枝小学校児童を中心に行なっていたが、過疎化による児童数減少の影響を受け、地域の青壮年有志を中心にした保存会を再結成した。後継者育成を目的としてこれまでどおり演目の一部を西友枝小学校児童が演舞している。
【芸能を行う理由・目的】 天下泰平、五穀豊穣、予祝
【舞・踊りの特徴】 演目は、それぞれ稲を作るときの所作を演じており、田打ちと田草取りのみ西友枝小学校児童が行う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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