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【由来等】 明治20年代に、下毛郡真坂村佐知の「佐助」(本名、広沢松次郎。神楽師名、広沢渡)を師匠として、八社太神社(東上)氏子中に神楽組が出来たのが始まりと伝えられる。よって八社太神社を神楽講では本社と呼ぶが、宮司を同じくし、氏子に講員を有する八社大明神も同列の扱いを受けている。
【活動の歴史】 友枝神楽組の発足当初は佐知組の助勢も受け、活況をなしていた。しかし、組員不足などの理由により明治末頃から一時中断、間もなく友枝神楽講として復活したが、後継者不足で苦慮した。昭和62年に、神楽講員の松山秀木、松山文男両氏の指導のもと、西友枝四区文化部子供神楽が発足した。平成11年の解散まで、神楽伝承、地域交流に貢献した。現在は松山秀木氏が、西友枝公民館で20代前半の青年5名に、通年週1回の指導を行っている。友枝神楽は、中津市、吉富町、三光村などの神社へも出向いており、年間20ヶ所以上で神楽を行っている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 掛手草は、地域住民の幸福を祈る歌(28番)を詠む。引入柴は、農業の起源を表している。御子舞は、御姫様2名だけで優雅に舞われる珍しい神楽で、友枝神楽の特徴ともいえる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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