今津の松囃子
【いまづのまつばやし】

楽器・道具等の特徴
 準備の際、神輿を飾る注連縄をない、神籬(ひもろぎ)を準備する。神籬(神が宿る木の意)は椎の木に御幣をつけたものである。神輿に鏡と共に載せる。御神体には鏡を用い、神事の際に、御神入れを行う。山車は杉の葉と竹で飾り(竹と杉の葉の組み合わせは独特、とのこと)、短冊を結んだ竹を数本後につける。

禁忌についての言い伝え
 祭当日の早朝、山車の最後の準備が終わると、近くの浜に赴き、「お潮井とり(お汐井とり)」を行う。各戸から代表者が1人赴く。潮をとる浜に至る道筋も決められており、「お潮井通り道」または「潮井道」と言う。とったお潮井(海岸の清浄な真砂)は、「お潮井てぼ」という桶に入れる。潮井も、神事の際にお祓いを受ける。家々での接待の準備を除けば、祭りの準備は、料理も含めて基本的に男性のみで行う(実際は、女性が手伝っている町もあった)。

その他
 寺小路のみ、年輩者と子供が曳く小型の山車がある。昭和63年頃から始まるが、特にいわれはない。この山車にはその年の干支を乗せる。干支は一回りしても、必ず新調する。寺小路に住む人形芝居の座長、中村隆暢氏が4〜5日かけて干支を製作し、町内にある勝福寺の住職が着色、仕上げをする。この山車は、「大黒様が舞い込んだ」と言う意味の囃子詞とともに、太鼓を叩きながら、町内を一軒一軒回り、更に他の町内も回る。今年は先頭に達磨を置き、干支の回りに七福神が配置してある。祭りが終わると、町内毎にその日、または翌日に樽開きと呼ばれる反省会が開かれる。行事に参加した人をねぎらう為に大宰府政庁から大量の酒肴が送られ、その酒樽の鏡蓋を開きこれを振舞った故事による。山車の曳き歌「若い年の慣わしごとに 山車(やま)だして 社前に奉載(ほうさい)だ 奉載だに出る子 矢櫓(やぐら)に矢射かけて 的矢(まと)の矢」各町の神輿は、白い布で神輿の周囲を覆い、神籬(ひもろぎ)に短冊がついているのが東町、ついていないのが本町。紅白の幕で神輿の周囲を覆い、神籬(ひもろぎ)に短冊がついているのが寺小路、ついていないのが上町。








このホームページの情報は、2002年11月から2004年3月までの間に取材を行ったものです。
開催日などが変更になっている場合があります。
お問い合わせはこちら